淡路島(南あわじ市・洲本市・淡路市)の観光、海水浴場、キャンプ場、温泉、交通、グルメ、宿泊(ホテル、民宿、ペンション)、イベント、釣り情報満載の淡路島地域情報サイトです!

淡路島 鳴門のうずしおまつり - 淡路島WEB「あわじウェブドットコム」

HOME > 淡路島鳴門のうずしお観潮船遊覧 > 鳴門のうずしおまつり

スポンサーリンク

淡路島鳴門のうずしおまつり

「うずしおまつり」は、淡路島の春を告げる行事として、、毎年3月~5月にかけてうずしおが大きくなる春の時期に実施されています。期間中の大潮の日に、「うずしお伝説」に基づいて、航海の安全を祈願しての神事、船上からの「酒樽流し」といった行事が「戎様(淡路人形による)」参加のもとでとりおこなわれ、あわせて、船上から鳴門海峡での「鯛の放流」も行われます。

咸臨丸(かんりんまる)
咸臨丸(かんりんまる)

なないろ館
なないろ館

スポンサーリンク

うずしおまつりオープニングイベント(安全祈願祭など)

【日 時】3月上旬
【会 場】南あわじ市福良港 うずしおドームなないろ館及び咸臨丸船上
【行 事】
神事 南あわじ市福良港(うずしおドームなないろ館)
酒樽流し・鯛の放流 観潮船「咸臨丸」船上
(戎様(淡路人形による)参加)(要乗船料。)

うずしお伝説

「いざなぎの命・いざなみの命」
 大地がまだ固まらない泥の海だった大昔、いざなぎの命(男神)・いざなみの命(女神)の二人の神様が天浮橋(あめのうきはし)に立ち天沼鉾(あめのぬぼこ)をさしおろして、泥の海をかきまぜながら引き上げました。すると鉾の先からしたたり落ちた潮が固まって島となった。これが「おのころ島」であります。

 その島に、お二人がお降りになって、大きな柱を立てりっぱな御殿をお建てになりました。そして、二神はその島までご結婚され、大きな柱を回る都度、子供をお生みになりました。最初が淡路島、次に四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州で、これが大八洲(おおやしま)国というわけです。

「うずしおの起源」
うずしおは、このいざなぎの命・いざなみの命が泥の海をかき回した痕跡であると伝えられています。

「戎舞い(えびすまい)」
お二人の神が最初に生んだ子供を「水蛭子(ひるこ)」といいますが、この子供は葦(あし)の船に乗って流され、後に「戎様」になられました。昔、淡路島の津々浦々では、豊漁・海の安全・豊作祈願をするために淡路人形の「戎舞い」をして、神社の境内などで奉納していました。
うずしおまつりでは、淡路人形座の協力を得て「戎様」の人形がお客様をお出迎えします。

「七福神」
お二人の神は、大八洲国のほかにたくさんのこどををお生みになりました。その中に七福神がおられます。
七福神は、ばらばらになると福を人々に授けられない(七福=一福)ということで、最初の国である淡路にお住まいになられました。これが、淡路島七福人の起源となっております。

酒樽流しの由来

 昔、神武天皇が東征の折り、鳴門海峡を渡ろうとしましたが、激流に阻まれどうしても渡ることできませんでした。そこで、神武天皇は新酒を海流に流し、海の神に「航海の安全」を祈願したところ、海面がたちまち静まり、無事渡ることが出来たという伝説があります。

 以来、鳴門御崎(みさき)神社の祭礼行事のひとつとして酒樽を流し、これを拾った船人が航行の安全と豊漁を祈願して讃岐の金毘羅宮にこれを奉納していました。

 この古くからの行事は、長い間途絶えていましたが、昭和63年に南淡町観光協会が酒樽流しの行事を「うずしおまつり」の中で復活させ、現在に引き継がれています。

淡路島観光連盟、南淡町観光協会の資料(古事記、日本書紀などに基づく)より作成。

スポンサーリンク

最終更新日:2023-05-15 (月) 12:28:27

powered by HAIK 7.6.4
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. HAIK

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional